神楽坂建築塾・塾生ブログ

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第八期神楽坂建築塾授賞作品発表

鈴木喜一先生の大地の家ブログにて、第八期神楽坂建築塾授賞作品が発表されつつあるようです。
http://daichinoie.blog6.fc2.com/blog-entry-1600.html
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  1. 2007/04/19(木) 15:38:36|
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吉田/鎌倉のランドスケープ

8期塾生の吉田さんから、修了制作「鎌倉・極楽寺周辺のサウンドスケープデザイン」のPDFデータを送っていただきました。
「音を通して世界を知覚する」ことから進んで、「耳の感覚を取り戻す、主体的身体性の復権」ことの大切さを、鎌倉の中でものどかさの残る極楽寺を選んでフィールドワークした、興味深い内容です。
前述の本間さんの論文にもつながりますし、酒井哲さんもサウンドスケープにはずっと関心を持っておられますね。護国寺の梵鐘の音から始まるなぞ解きストーリー(酒井氏のブログ)
http://tfblog.blog6.fc2.com/blog-entry-73.html#comment
と、それに対する皆さんのコメントも面白い。

……と、脱線しました。では吉田さんのデータ、多少重いですがこちらから……【渡邉@習志野】 【“吉田/鎌倉のランドスケープ”の続きを読む】
  1. 2007/03/24(土) 08:28:41|
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で、バルセロナはどうなった?

渡邉です。
本間論文『perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築』を読んでの感想なのですが、画像を付けたかったので新規記事にしました。スミマセン

難解な文章、がんばって読むか~! と身構えて繙いたが、実は発表会でみんなが口にしていた問題意識とぴったり噛み合っていて、またぼく自身の旅の感覚ともするどく交差している部分もあり、一気に読み進められた。説明ではよく掴めなかったのだが、
都市再生の手法としての「穴開け」(あえて平たく言う)とは、1999年のバルセロナで行われたように「老朽化した建築物を撤去」して「ポッカリと空いた穴のままにする」こと。そこに植樹やカフェ設置などで風を通すとともに人を呼び寄せ、新しい都市の価値を産みだすというもの。「バルセロナモデル」と呼ばれているらしい。

で、バルセロナのどこがそうなの!?
と思ってGoogle Earthで探してみると、
20070316122002.jpg

こんな感じでした【クリックで拡大!】。中央がカタルーニャ広場………… 【“で、バルセロナはどうなった?”の続きを読む】
  1. 2007/03/16(金) 12:23:32|
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連鎖的に感じた「住まい・身体・食」

中谷泉です。9期も引き続きよろしくお願いします。
わたくしの発表はHPに載せていますので以下を参照ください。


http://www18.ocn.ne.jp/~andando/izumi_nakatani_3c.html


それと、こっちのブログが盛り上がれば、必要なくなくなくなくな~い?という気もしないでもないこともないのですが・・・。
mixiに、「神楽坂建築塾」のコミュニティをつくりましたので、そちらとも双方向で盛り上がっていきませんかね?mixiだと更新されるとメールが届きますので徐々に見なくなる可能性が低いかと。。ということでぜひともご参加ください。すでに利用している方は「神楽坂建築塾」で検索してください。mixi自体に入られてない方はメールいただければ招待します!
izumi@extra.ocn.ne.jp(@を小文字に打ち直してください)


それではみなさん、押し寄せつつある春を熱い抱擁で向かいいれましょう!!!


中谷泉


 


 

  1. 2007/03/14(水) 01:07:46|
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perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築

『perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築』第八期生:本間

無数のちいさな危険にかまけて、大きな一つを忘れていた。
巣穴をもっているからには、どんなものがやってきても
こちらが有利だと思いこんでいたのか。

・・・巣穴をもつことの幸せに甘えていた。 

(カフカ『巣穴』より)

はじめに.巣穴から穿穴へ
人はいつも自分の巣穴をもつことを夢見てきた。巣穴は、その主にとっての生活の中心であり、身を守るシェルターであり、そして大きな財産である。だからこそ、多くの人々にとって巣穴、すなわち住居(あるいはマイホーム)を手に入れることは、今なお夢の終着点に位置づけられている。

全人口のついに過半数が都市に暮らす今日、とどまることのない地方の都市化や都市への人口流入は、「都市」人口の更なる増加を約束している。それはまた、都市の巣穴が増えることに等しく、人は常にこの巣穴を介して都市を知り、都市と関わっていく存在になることを示唆している。そしてそのとき、夢のマイホームとしての巣穴は、彼にとって世界全体ではない。外に出るための拠点として重要な位置にあることは相違ないが、それは確かに世界のごく一部に過ぎない。どんなに素晴らしい巣穴であっても、彼はやはりその身ひとつで外に出る。

だからこそ忘れてはならないのは身体への言及、すなわち都市に対する身体の主体性を問うことであろう。身体と都市の関係性は、十全な巣穴を所有するか否かとは位相の異なる問題として理解されるべきである。人はヤドカリではない。巣穴から出ることが前提であるがゆえ、これは熟考されなければならず、巣穴建設をめぐる試行錯誤と同等に吟味されるに値する問いだと考え得る。

「身体はどう主体的に都市を捉えるのか。」

本論はこの問いに対して、「せん穿けつ穴」という概念を用いて応答する。なお、穿穴作用を示すための具体的事例として、インドネシア共和国の地方都市バンドンを挙げるが、本論の意図はそこから多様な都市への応用可能性を提示することにある。
【“perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築”の続きを読む】
  1. 2007/03/13(火) 13:22:11|
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