神楽坂建築塾・塾生ブログ

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オープンハウスのご案内




研究生の酒井哲です。
度々の投稿で恐縮ですが、
私の事務所で設計・監理を担当していました
倉庫併用住宅「てつがく邸」が竣工しました。

「てつがく」は古道具を商いとする建て主の屋号です。
そんな建て主の要望は、「てつがくモダン」な家でした。

てつがくモダンとは、、、

「粋」な下町感覚で ぎゅっと、デザインしました。

ご高覧頂けましたら幸いです。

日時:5月23日(土)13:00から17:00
場所:東京都荒川区内 町屋駅から徒歩15分程度

見学希望者は QYK15242@nifty.ne.jp までご連絡下さい。
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  1. 2009/05/17(日) 16:26:56|
  2. お知らせ
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忘れられた都市巡礼 研究生コース




こんにちはブログの世話人をしている研究生の酒井哲です。

今日は天気に恵まれて、絶好の街歩き日和でしたね。
研究生コースでは浅草橋駅から両国まで、神田川→墨田川を沿いを歩きました。
写真は神田川の墨田川への河口に架かる柳橋から見た風景です。
普段神田川の近くで仕事をしていますが、
このような景色が神田川にあったとは、知りませんでした。
自分の実体験とはリンクしない景色ですが、
何故が懐かしいような気分になるから不思議です。

来月はここから、屋形船に乗って隅田川を下るとのことです。
楽しみですね!!


神楽坂塾生ブログではここのところ、修了論文のアップが続いていますが、
塾での感想や、疑問、あるいは塾生のみんなにお知らせしたいこと等
情報交換や、塾生の交流の場として、活用してもらえると嬉しいです。

建築塾生ブログのIDとパスワードは
スタッフの石井さんから塾生メールで皆さんにお伝えしてもらいますので
じゃんじゃん投稿してください!!

それでは、皆さん今年も宜しくお願い致します。
  1. 2009/05/10(日) 18:09:26|
  2. 座学/フィールドワーク
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「桑ハウス」の魅力 10期 酒井哲

sakai.jpg

 東京都日野市に現存する、桑ハウス(旧日野桑園第一蚕室)を初めて訪れたのは2006年の夏のことである。それ以来、鬱蒼と茂った林の中に突如として現れる存在感のあるボロ屋にすっかり魅せられてしまった。(財)たましん文化財団の季刊誌「多摩のあゆみ」で建築のコラムを担当していたのでこの建物のことを書く機会をうかがっていたが、建物は夏限定の風物詩のように利用されており、敷地が開放される次の夏まで待たなければならなかった。
 7月に入りようやく行政から取材の許可をもらうことができ、「ボロ屋」についていろいろと調べていると、ここが旧日野桑園の第一蚕室という蚕糸試験場の建物であったことを知った。取材を通して、自然体験広場の写真を撮り続けている佐伯直俊氏(仲田公園の緑を愛する会)、やひのアートフェスティバル実行委員会の方々と知り合うことができ、フェスティバルで第一蚕室に関するパネルを展示する機会をいただいた。憧れの建物を取材だけでなく実際に活用することができたのは実に貴重な体験だった。

 ひのアートフェスティバルが開催された二日間はまだ残暑が厳しい時期であったが、第一蚕室の中はひんやりと涼しく、意匠的な美しさだけでなくこの建物の持っている潜在的な建築性能も改めて確認することができた。ここでは、展示パネルと「多摩のあゆみ」のコラムに加筆し第一蚕室を再度紹介したい。
【“「桑ハウス」の魅力 10期 酒井哲”の続きを読む】
  1. 2009/05/08(金) 10:30:58|
  2. 修了制作
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第10期終了制作/十二軒町の家改修工事/三浦正博

IMG_4547.jpg

 「十二軒丁の家とは、なかなか良い名前だ。」目の前の国道からは見えないほど奥まっているこの家に案内され、大家から渡された鍵には「十二軒丁の家」の名札がついていた。この地区の町名は八幡なのに、十二軒丁とはなんなのか聞いてみると、江戸時代伊達藩の時代の町名で、昔からこの辺りに住んでいる人たちは親しみを込めてこの名で呼ぶという。
 2006年春、2年間のモロッコでの生活を終え、再び仙台で生活をはじめようとしていた私は、とりあえず家探しからはじめた。しかし、こぎれいにお膳立てされたアパートやマンションなどには住む気などさらさらなく、最初から改修できそうなボロ家を探した。まだ住める家を壊してすぐに新しくて味気ない家を建てる風潮に嫌気がさしていたし、大きな犬と一緒に暮らす必要からでもあった。
  が、不動産屋ではそのような借家の一軒家はほとんど紹介しておらず、「あったら連絡するから。」と言いながら連絡など来ない場合がほとんどだった。家賃の安いボロ家は不動産屋としても儲からない仕事であるばかりでなく、現状復帰の慣習がある日本の不動産業界では改修できる賃貸物件はまず出て来ないという現状のようだ。
 そうしているうちに、知り合いから「母親の実家が住み手がなく荒れ放題になっているので相談に乗って欲しい。」という話があった。まさに、渡りに船とはこのことで、早速その家を見に行くことにしたのであった。
 家の前の国道はしょっちゅう通っていたのだが、こんなところに古い家があるとは思ってもみなかった。歩道から幅1mちょっとしかない路地を入ると40mほど入った突き当たりに笹薮の中に埋もれるようにしてその家はあった。敷地に接道がないため建て替えもできず、そこに住んでいた友人の母方の両親が亡くなってからは、住む人もいなくなり荒れ放題になっているという。
 たしかに、家は庭に生えた高い笹竹に隠れて屋根しか見えないし、中に入ると縁側は雨漏りの跡に得体の知れないキノコが生えている。もう何年も経っているというのに、人が住んでいた頃そのままに家財道具が放置してあることからも、大家たちがこの家をどうする気もないことが伝わってくる。
 大家たちから聞いたところによると、この家の元になる軸組は築百年くらいになる家を移築したものらしい。かつて仙台近郊の温泉地に建っていた家を大家姉妹のお父さんがもらって来て、昭和のはじめ頃この場所に移築したということだ。庭に立つ白樫の大木は大家が子供の頃、50年ほど前に苗を植えた記憶があるということから、この家はそれより前からここにあるということになる。この界隈の八幡地区は太平洋戦争末期の仙台空襲を免れた地区なので、この家も戦災を間近に見ながらそれを逃れたのかもしれない。大家が子供の頃は家の裏に深い沢が流れていたというが、今は跡形も無く道路になっている。調べてみると、へくり沢という沢がかつて流れており、広瀬川に流れ込んでいたことがわかる。そのため、この家の裏の沢を埋め立てた土地は地盤が悪いということだが、この家のある敷地は地盤も良いらしい。たしかに、こんなボロ家が宮城県沖地震をはじめとする大きな地震の被害を免れていることからもそれは確かなようだ(このことは2年後の宮城岩手内陸地震で実感することになる)。

 なぜ、そんな家に住もうと思ったのか?もちろん古い家が好きということもある。しかし、それ以上にこの家が自分に語りかけてきたからだ。「まだ、住めるよ。」と。
 私は古い家(というよりもボロ家)が好きで、街を歩いていても有名な建物などよりも無名の崩れ落ちそうなボロ家に目が行ってしまう。そして、その家に人が暮らしていれば最高だ。
 しかし、そういったボロ家の多くは壊されていく運命にある。「いい雰囲気だなぁ。」と思って毎日見ていた家に、ある日突然足場がかかる。心ある建築家が修復してくれることを願うが、その願いはほとんど叶ったことはない。たいていの場合はボロ家に足場がかかることは死刑宣告を意味する。ほどなく重機がやってきて死刑が執行される。
 静かに生命力を放ち、その一画の風景を作っていた家は跡形もなくなくなり、そこにはそれとは似ても似つかないこぎれいな、しかし味気なく薄っぺらい家、あるいは威圧的な高層マンションが建つことになる。
 そのような現状をいつも腹立たしく思ってきた。なのに、今、目の前にあって自分に助けを求めている家を見捨てるわけにはいかないだろう。「僕が住みます。」こうして、この家の改修計画は始まった。

 さて、どのように改修していくか。今回は古民家再生の優れた事例のように古い架構の中に現代的な生活をインフィルするというスタイルは避けたかった。モロッコで2年間過ごして帰ってきたばかりの私には、日本人の生活のスタンダードが非常に贅沢で過剰でオーバースペックなものに思えたからだ。そして、普段の自分の設計業務において、そういうものを要求されることに疲れていた。「どうしてそんなに必要なの?」と。
 モロッコの家(特に地方では)は自動車で言えば、エンジンとタイヤとハンドルがあるだけの様なものだ。風雨とある程度の寒さをしのげれば良いという考えだ。それが、シェルターとしての家の原点だと思う。ある種の純粋さを感じる。しかし、現代の日本の家は、自動車で言えばカーナビやエアコンが装備され、カラーやデザインでステイタスを競う様な、モロッコの家とは対極の価値観からできているように思えた。
 そして、そういった価値観は、現代の住宅における問題、さらには環境や教育などの社会問題の根っこっとなっている。自分はそういう流れに棹を差したかった。ただ、自分とて現代日本で生まれ育った人間なので、電気や水道は必要である。ただし、過剰である必要はないのだ。
 多くの不便さというものは、多少の努力や工夫で解消できるものである。この家では暖房は薪ストーブのみだが、薪を運んだりしょっちゅうくべたりするのは結構めんどうだったりする。中古の業務用ガスコンロは点火のために火が必要だ。土壁の家は現代の断熱基準から考えるととても寒い。エアコンはない。網戸もない。大地震がきたら倒壊するかもしれない。だが、特に生活に支障をきたすほど不便でもないし、我慢できないほどの寒さでもない。夏は暑いのが当たり前だ。通風のために窓を開けておくと、蚊が入ってくるが蚊取り線香を焚いていればいい。家が倒れるほど大きな地震が来たら、諦めるか、瓦礫から脱出する方法を考えればいい。
 そもそも、自然界という制約の中でしか生きられない人間が、その限界から自由であると考えるその思想こそがおごりであり、現在のような環境破壊を引き起こしたのではないのか。これほど極端に走る必要はないにしても、我々はもう一度「足るを知る」という謙虚さに立ち返る必要があるのではないだろうか。


テーマ:建築 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2009/05/04(月) 18:03:32|
  2. 修了制作
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