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旅と建築☆大地に根づいた風景☆鈴木喜一

神楽坂建築塾第11期修了制作・論文の季節になってきました。
みなさんお元気ですか。以下は、僕の修了論文(見本)です。参考に一読していただければ幸甚です。ちなみにこれで約9600字です。画像は気が向いたら徐々にアップしますね。みなさんも、このプログを(第11期修了制作・論文のカテゴリーで)活用して、修了制作・論文を進めてください。


20090219113628.jpg

【神楽坂建築塾第11期修了論文☆『住宅建築』2009年3月号巻頭文
旅で見る大地に根づく建築

「大地の家」を歩く

【リード】
まちを歩き、まちを描く。これは僕が世界の旅の中でかれこれ25年以上継続していることである。正確に言えば「歩く」「見る」「聞く」「撮る」「測る」「描く」ということになるかもしれない。日本全国はむろん地球上をくまなく旅して人の暮らしの原点に触れてみるという視点だ。視野を広く持ちたいということもあったし、人間居住の歴史をささやかながら探りたいということでもある。
つまり僕は旅の中で、大地に根づく建築と生活をずっと見続けている。大地に息を潜ませている家や、大地と共に生きて躍動している集落や、大地と軽やかな接点を持つ住まいや、大地に深く巣くっている建築や、大地を深く呼吸しているまちや……。
旅は時に一人で、時に親しい仲間たちと、時に神楽坂建築塾のフィールドワークとして実施された。この小稿では、いくつかの旅のエッセイをコラージュして「大地性」の中に収斂させてゆく。「大地」に根づくこれからの建築をつくるために。「大地」に根づくいまある建築を再生するために。


大地に息を潜める家
●僕はいつ「大地の家」に出会ったのだろう。目を閉じて旅の中をさかのぼってみる。あれは確か1983年の春、いまからおよそ26年前のこと……。

 いつかインドを見たいと思っていた。
 いつか彼らの生活をこの体に焼きつけてみたいと思っていた。恐ろしいほどに豊富な 人生の渦巻くインドの世界に私ひとりを置いてみたかった。
 建築を学ぶ、そして建築設計を業とする私にとって、インド亜大陸の様々な風景は直 接的に私の仕事に反映することはないかもしれない。しかし、建築家が内包しなけれ ばならない人間の普遍的な生き方、生活の祖形に触れることはできるはずだと思った。 それはいいかえれば、人間の生の世界からの誘惑だったような気がする。

インドとパキスタンの国境にジャンムーという町があって、そのジャンムーからスリナガルまでバスで約15時間かかる。バスにそれだけ乗るのは大変だと思うかもしれないけれど、旅に出るとそのくらいの時間は何でもない感覚になる。たとえば船や火車に四日も五日も乗るなんてことがあったし、バスで三日間砂漠の中を走るということもあった。
15時間位はなんでもない、そんな感覚で走り出したのだが、実際は38時間もかかってしまった。スリナガルへの道は、結構落石があったり、ガードレールもない険しい崖の道。谷底にはバスやトラックがゴロゴロ落っこちている。ヒヤヒヤしながら、車内で祈るような気持ちで厳しい風景を見ていた。
でもやはり、落石事故に遭遇してしまった。延々と長蛇の渋滞、バスは全く動く気配がない。名もない村で停泊することになったが、地元の乗客は全然慌てていない。少しぐらいパニックになってもいいのに、みんなポカンとしていて、それが当然という顔。感覚が違うんだなと思って、僕は彼らを観察していた。
で、スリナガルの場合、一晩バスが村で停泊する。あきらめの境地である。かなり寒かったので、隣の席に座っていた青年アリにセーターや毛布を借りて一夜をやり過ごした。朝、目覚めるとまだバスは動く気配がない。そこで雨上がりの丘陵の村を散歩しながら、久し振りに野外で用を足した。草の中で気持ちがいい。白い蝶が舞っている。
しかし、ここからストーリーが立ち上がってくる。僕はそこで、やおら「大地の家」を発見する。その村の家はすべて「大地の家」だった。つまり大地を両手でつまんで持ち上げて出来ているような簡素な家である。地面だと思って歩いているとそこは家の屋根だったりする。だから注意深く周囲を見渡すと、あそこにもここにもといった具合に家が潜んでいる。その後の僕はといえば、目を輝かして村を歩き回りスケッチを始めることになる。落石事故に感謝、バスの発車はできるだけ待って欲しいという気分だった。

●これが「大地の家」発見のくだりである。場所はカシミール山中、としか言いようがない小さな谷間の村だった。このインドの旅は約二ヶ月間にわたるものだったが、まさに「大地の家」に向かう旅の連続だった。砂漠のまちジャイサルメールやバルマルの草葺きの集落も忘れられない。その「大地の家」はどれも粗野で無名で土着的で、自然に対してあまりにも謙虚に根づく家だった。


東チベット桃源郷
●甲居村はチベットの桃源郷だ、と言ったのは平良敬一氏(本誌代表編集者)だった。
「神楽坂建築塾番外編として集落の旅が続けられている。いまのところ中国が中心になっていて、その記録はその都度『住宅建築』に掲載されているが、最近全く偶然に思いもしなかった離散型集落に東チベットで出会った。甲居村という。山の斜面に分散して配された民家の総体の美しさは、都市の美しさとは違って緑の田園のなかにある。家と家の間は畑で、それは果樹園でもあり、野菜畑でもある。まさしくアジア的な田園都市の様相を示していた」(本誌05年6月号「風景をつくる思想」抄)
僕はむろん同行していたのだが、平良氏がここで着目していたもう一つの視点をあげれば、「生活と宗教を一体化している美学が躍動していた」ということになるだろう。単体としての民家は謙虚に息を潜めていると同時に、よくみれば地面から屹立し、色彩を帯びて波状し、脈々と生きていたのである。「大地の家」はたくましく野性に満ちているものだった。

●チベット道中日記  
バスで丹巴から甲居藏寨に向かう。急な山道を約一時間。到着した村はため息をつくほど美しい集落だった。地上の楽園・桃源郷・ユートピアという名にふさわしい。と言ってとりたててぜいたくな場所ではない。かつて僕はシャングリラという夢のような現実についてこう定義したことがあった。
・素足で気持ちがいい
・心が自由でなごやかで楽しい
・人の表情や目に輝きがある
・田畑と素朴な家屋がある
・川の流れや池があって
・植物と動物も一緒で
・神々や先祖も一緒で
・月を眺め、ゆったりと風に吹かれて生活し
・矛盾も性急な進歩もない    
穏やかな丘陵に巣くったのどかな景観にはめずらしく石積みの塔(軍事的な意味の望楼の狼煙と言われている)が一つだけしか見えない。塔が少ないということは幸せな村だったのか、と思ってみたりする。この村の入口にある典型的な民家(創建は150年前と伝えられている)をみんなで実測することになった。僕は断面図を採寸しながら、大地の家の確かな鼓動を体感していた。

●桃源郷の復興を願う 
その桃源郷一帯を、2008年5月12日、四川大地震が突如として襲った。大被害を受けたこの地の復興を願って、東チベットツアーのメンバーを中心に直ちに浄財が集められた。僕たちが感動した風景の復興のために、少しでも役に立つことができればということを願うささやかな気持ちだった。(詳細は本誌08年12月号「桃源郷の復興を願う」報告記事参照)


住むことの心地よい軽さ  
僕たちが「大地に根づく建築」といった場合、当然のことだが「大地(地面)に物理的に固定された建築」という図式で捉えてはいない。東南アジアによく見られる高床の住まいや水上集落、バラック住居、バンブーハウスや湖上の家やモンゴルのゲルも含めて、大地から浮き上がった建築、地表にゆらゆらしている軽やかな自然の住まいも「大地の家」としての魅力を十分に備え、人間の知恵が積み重ねられ、様々な生命をはぐくんでいるからだ。

●マンダレーからの手紙
みなさんお元気ですか。
僕はいま(2000年1月10日ですが)、イラワジ河の岸辺につくったバンブーハウスで絵を描いたり、近所のおばさんにビルママッサージをしてもらったり、友人になったマウンコやマンマンジたちとたわいのない話をしながら過ごしています。
ここはミャンマーの古都マンダレー。今回の旅は風邪を引いたり、下痢をしたりでついつい長期滞在(今日で15日目)となってしまいました。体調不良ということであまり移動しなかったわけですが、素朴な集落の中で生活の原風景をじっと見続けながら、スケッチをあっちから描いたり、こっちから描いたりしていました。この岸辺を訪れたのはこれで3回目ですが、とうとう僕もバンブーハウスをつくってしまいました。長期滞在ならではの出来事ですが、この手紙はその報告です。
まず発端……。友人マウンコのバンブーハウスに招待され、ロウソクの灯の中でおいしいチキンカレーをご馳走になり、ポットにたっぷり買い込んできた生ビールをぐいぐい飲んでいると、気持ちの良い川風が小屋にさーっと流れこんできた。
「いいなあ、こんな小さな竹の家、住みやすそうだし、僕もつくってみたいなあ……」と呟くと、あれよあれよと話が弾んで、あっというまに着工の運びになってしまいました。
総工費は5000チャット。比較しても意味がないのですが、みなさんたぶんびっくりするので公表すると日本円にして約1600円という超破格の安さです。果たしてこの値段で我がバンブーハウスはできあがるのだろうか???
翌朝からさっそく工事にとりかかりました。敷地はマウンコの家の背後、目の前にはイラワジ河と川向こうに浮かぶ島の集落が見えています。パゴダも空を突いています。広さはちょうど方丈の庵といった程度としました。むろん高床式。
家づくりはまず材料の買い出しです。僕はマウンコとマンマンジに連れられてバンブー(竹)の見立てに出かけました。イラワジ河の岸辺では竹材があちこちで売られています。といってもバンブーの仕様はどの家も同じ。手作りの規格品で、そんなに種類があるわけではありません。屋根はこれがいいな、壁のパネルはこれ、柱はこれ、縛る竹紐はこれ、といったように選びます。
ボランティアの工作人はマウンコ33才(リキシャー)、マンマンジ27才(学生)、マウンコの妹の旦那30才(職業?)。彼らはみんな素人ですが、竹の扱い方に長じていました。釘も全く使いません。
道具も極めてシンプル。のこぎりと金づちとナタと長いバールとシャベル。メジャーも使用しませんでした。僕も屋根の竹を縛ったりして手伝いましたが、素朴なバンブーハウスをつくりながら、僕らが職能としている住宅設計ってなんなんだろう、人が住むってこんな軽さでもいいんだよなあと考えたりしていました。
みなさんはどう思いますか??? 
材料選びに一日、組立に一日、5000チャットの我がバンブーハウスは二日で無事できあがりましたが、雨期になったら竹の柱を4本担いで引越をするかもしれないそうです。耐用年数はせいぜい4年。部分的には再用も可能だということです。以下はバンブーハウスの使用材料明細です。材料はくどいようですがすべて竹です。
・壁材(テイヤン)竹3枚剥網代パネル   2000チャット
・屋根(アモウー)竹3枚剥(10フィート×1フィートが1単位)1000チャット
・構造材の竹(ワー) 丸竹   800チャット
・床の竹材(チャンピエン) 半割り竹 500チャット 
・竹のカーペット(ピャアー) これはマウンコ家のものを借りました
・縛る竹紐      100チャット
・竹の椅子     300チャット
・お茶菓子代    300チャット

PS・予算がもう少しあれば基礎部分を丸い竹でイカダ状に組んでおくのがよさそうです。雨期になれば河にゆらゆら浮かぶフローティングハウスになるからです。
なぜこんなことをするか ??? ですって。
人間の手や肉体が工作してつくった家の親しさを強く感じたかったからでしょう。ここで繰り返されているささやかな生活の律動は§ 人が住むということ§ つまり人が生きているということの本質的な意味を問いかけているような気がしてならなかったからです。あなたもちょっとしたバンブーハウスをつくって、土地と一体になってい根づいてる文化について思いを馳せてみませんか。では再見。


日常を軽々と移動する民           
●ゲルという棲家
草原の夏の空気をいっぱいに吸って、モンゴル遊牧民の移動式テント住居・包(ゲル)に起居し、満天の星空を寝ながらに見る! というのが、ちょっとした僕の夢だった。
日常の僕は建物をある一定の土地に定着させる建築設計を生業とし、かつ歴史的建造物の保存活動等を少しずつ積み重ねている。しかしその一方で、国内外の枠を越えて旅に出る。その土地土地に脈々と根の張った風景を美しいと実感し、ささやかに記録して帰ってくる。
つまり僕の実際の生活は非定着的で、一年のうち三分の一は家を忘れ、リュック一つで外に出る。そのことを漠然と目標としているフシもある。これが僕の生きてきたこれまでの道筋だった。だから、家畜と共に日常を軽々と抱えて草原を移動する彼らのすがすがしさに共感を覚えるのだろう。
といっても、僕は彼らのように透明に生き切ることはできない。冬の寒さに耐えることも難しいだろう。行ったり、来たり、いつも探訪者の視座なのである。彼らの生活から学ぶことは、一つには自浄能力といったようなものかもしれない。小さくなることの強さ、物に執着しない強さ、蓄財や物惜しみをしない強さ。これは過酷な自然の中を移動する民にとって不可欠の資質だったにちがいない。土地や建物、その他の物品にいたるまで個人所有という実態が見事なまでにほどけていて潔い。
旅する人間もまた同様で、できるだけ荷物を軽く、遊牧民のように寡黙に、寡欲に、贅肉をとって移動する。

二〇〇年八月、ウランバートル郊外のゲルに泊まった。直径五メートル(約十二畳)の円筒形平面の上にドーム状の屋根がかぶさっている。中央に直径一メートルの開閉式の天窓がある。
この住居の構造は、パンタグラフ状に組んだ柳の柵を円形につなぎ、その上に丸太(直径三センチ程度のもの約百本)で傘の骨のようなアーチをつくり、羊毛のフェルトを綿布で包んで、革紐でしばりつけたものである。合理的で簡単な構造のうえ、保温効果は抜群である。
先に記したように、ゲルという棲家は、移動が簡単なように分解したり、組み立てることを徹底的に追究したものだが、さらにもう一つ、草原や砂漠の蒼穹と深いかかわりがあるのではないかと僕は想像する。夜、彼らが眠りにつく時、そこに見える空間は崇拝する天と同じ形、つまり弓なりであることが最も自然なことだった。遊牧民にとってゲルは広大な宇宙の中の小宇宙である。天と大地のやわらかい結び目(建築)なのである。


中国の地下住居・窰洞(ヤオトン)

●地下住居ヤオトン/黄土高原
2002年秋、中国の河南省・陝西省を中心にして窰洞実測ツアーが実施された。窰洞(ヤオトン)とは、いまだ中国に残る地下住居のことである。居住人口は三千万人とも言われているが、減少していることは確かなようでその人数は定かではない。ヤオトンの形状を大別すれば靠山式(山の斜面や崖面に直接横穴を掘ったもの)と下沈式(まず地面から垂直に方形の穴を掘って地下の中庭をつくり、それから続いて横穴を掘ったもの)の二種類に分けられる。ここでは河南省三門峡市窰底村の下沈式ヤオトンを中心にして紹介してみよう。

●大地の中に住まう   
旅も半ばに入ってからのことであるが、一行は日本人が50年以上も足を踏み入れていない村(河南省三門峡市窰底村)を訪問することになった。窰底村は、ヤオトンが2キロ四方に広がる村で約50世帯の人々が地下の中で生活している。生業は農業で、主に小麦とりんごをつくって暮しているようだ。黄土高原の気候は、当然のことながら日本に比べて極度に雨が少ない。ヤオトンという地下住居をつくるのに適している一つの要因でもある。ところが我々一行が訪れた時はめずらしく雨が降っていた。それも小雨ではなくかなり本格的な雨模様だったのである。実測やスケッチをするにはいいコンディションではなかったが、当地では恵みの雨だったらしい。農作物が久し振りに潤うし、大地も固まるからである。
その窰底村では、通りがかりの一行を丁重に、しかも盛大に迎えてくれた。「便要還家、為設酒、殺鶏作食」(便ち邀へて家に還り、酒を設け鶏を殺して食を作る)という中国の古い風習そのままの大歓迎だったのである。
このあたり一帯には約一万二千人がヤオトンに居住している。窰底村のある陝県張★郷に残存するヤオトン村は10ヶ所と言われていて、370世帯併せて1700人が住んでいる。ヤオトンの数は172箇所(その内使用されていない廃屋状態のものが70箇所)にのぼるらしい。
2002年9月14日。昨日の雨とはうってかわった好天気である。一行が再び実測に訪れると、村人たちが入口で大挙して待っている。奏楽隊も登場してごったがえすにぎやかさ。まず村の会議室で村長の挨拶があった。
「みなさん、窰底村にようこそおいでになりました。我々は素朴でお客さんに対してあたたかいもてなしを持つ庶民です。最近10年、この村にもめざましい経済発展がありました。5年間でトラックの通る道もつくりました。今、すべての家でテレビを見ることができます。電話も約4割、通じるようになりました。男は畑で農作業をしていますが、女の人は手づくりの工芸品等(カバン・靴・刺繍)をつくっています。みなさんはこれから窰底村のヤオトンを実測するそうですが、古いもので300年以上の歴史があります。この村では1980年代につくられたヤオトンが一番新しいものです。それ以後は、地上のレンガの家に変わりました。夏冬は地下で、春秋は地上で暮す人もいます。村人はみんな協力しますのでがんばって実測して下さい。昼食は何班かに別れて各家で召し上がって下さい」
4人ずつのグループになって実測することになった。僕は馬良佐宅を担当することになる。無心に実測しながら大地のエネルギーを受けていた心地よい一日が終わる。
なぜ先人たちはヤオトンをつくったのだろうか?  その夜は実測成果中間発表会があり、みんなで一日の感想を語りあう。
「中庭へカーブしていく地下導入路が素晴らしい。地上から直接中庭に降りていくこともできるのにどの家も必ずトンネルになっている」
「何千年も確かめられてきた居住スタイルの重みと心地よさがある」
「実測した私たちはこれからヤオトンの保存にどう貢献できるのだろうか?」
「中庭の排水計画もきちんとされているようでびっくりした」
「どこのヤオトンも三世代が一緒に暮らしていて、しかも村全体が家族のような温かさ。血族が団結して生きる一つのかたちを見た」
黄土という大地は掘りやすい土質で人が容易に工作してつくれるという利点があった。冬暖夏涼と言われているように地中の温度は地上に比べて年中安定しているので、冬に暖かく、夏には涼しい住まいなのである。そしてカマドの火は床下を伝って温床を形成しているので眠り心地も満点な自然の家ということもできる。
城壁(塀)のような痕跡もあったから外敵防御ということも当然あっただろう。見えない住まいは、外部のものが夜間に歩いていたら中庭に落ちてしまう落とし穴でもある。黄塵の舞う嵐の時には、その自然の脅威から身を守るのに最もふさわしい形であるのかもしれない。用材として使える樹木が乏しいということで、倉庫等には木材のストックが目立った。プランの決定には風水思想が影響している。穴を掘り進めるだけだから増築が比較的簡単ではないか……。
夜遅くまで議論はつきなかったが、ヤオトンの質素で静かな暮らしぶりに比して、我々の情報社会はほんとうに豊かなのだろうか、という本質的な問いをあらためて深く心に刻みつけられることになった。

ヤオトンのことを最初に知ったのは「建築家なしの建築」(バーナード・ルドフスキー)という本を読んだ時のことで、もうずいぶん昔のことである。確かその本には、黄河中流域(陝西省、河南省、山西省及び甘粛省)のヤオトンに約一千万人の人々が住んでいるとあった。現在、ヤオトンに住んでいる人は三千万人とも四千万人とも言われていて、その人数は先にも記したようにはっきりしていない。いったい増えているのか、減っているのか。たぶん徐々に減っているのが事実だろうと思う。若い人たちの都市への志向や快適な最新設備の整った住まいへの要求が強くなっているからである。実際、訪れたヤオトンは比較的年輩の方や子供たちが多かったように思えるし、山門峡市街地では埋められているヤオトンも数多く目撃した。中国政府は土の中で暮らす文化を古めかしく前近代的なものとし、一部の保存を除いて地上に住まわせる政策を取っているのである。
周知の通り、現在中国の変貌ぶりは著しい。その波は黄土高原のヤオトンにまで徐々に及ぼうとしている。いやすでに及んでいるのである。
本誌で発表したことが何かの契機になり、魅力的なヤオトンとその生活が現地でもっと見直され、活用され、改修もされ、新築もされて、貴重な住文化がこれ以上消滅しないことを切にのぞむばかりである。


大地を深く呼吸しているまち
●トリニダーの空 
2009年秋、神楽坂建築塾を中心に、同写真塾と美術塾に声をかけて、キューバに行ってきた。現地で草野球ができるかな程度のコンパクトなツアーである。足を伸ばした主なルートはトロント→ハバナ→バラデロ→トリニダー→アンコン。
場所と空気がよかったのだろう、僕はキューバ滞在の一週間で27枚のスケッチが描けたし、大橋富夫さんは3000枚の写真を撮り、他の隊員たちも趣向を凝らした表現活動にいそしんでいた。
ではキューバを歩いて何をしていたかというと、まちと人と田園と自然の風景を享受してきたということになる。つまり豊潤な大地の歌を聴いていた。政治的にも経済的にも大国に支配され、封鎖され続けてきたカリブ海に浮かぶ小国の独自な文化の香りと音とリズムを僕たちはとにかくいっぱい呼吸した。
旅も佳境に入った頃、僕はトリニダーの民宿で、フィデル・カストロの演説*を読み、なるほどなあ、とかみしめていた。
「キューバの利益にならないような行為をするものがあれば、それは外国の独占企業だ。(怒りの叫び)」
「キャデラックを買わないでトラクターを買うこと、これは人民の利益になることではないか?(拍手)」。
「共和国が50年間に建てた数の二倍にのぼる一万の学校を建てること、これはキューバの利益になることではないか?(拍手)」
「もとの兵舎を教育施設に改めた、ということで、われわれは人民の利益を侵害しただろうか?(拍手)」
キューバは、フィデル・カストロ等の元で、いま農業と教育と医療の再生をめざし、その一定の成果をあげている国である。食糧の自給率は高く、国民には教育費や医療費もかからない。大橋富夫さんが流れてゆくバスの車窓(農地)を見ながらつぶやいた言葉を借りれば「のんびりしてるねえ。大地が赤いんだねえ。(僕たちは)ガツガツすることないんだよなあ」ということになる。
そこには何もないようで、すべてが横たわっていた。過去の桎梏を大きく受容して、明るい風土に忠実で、自然に従順で、つまり人が生きるということを謳歌していたのである。それは、果たして、現代文明はここまで急速にスピードをあげる必要があったんだろうか、ひょっとしたら、もっと大地に接近してゆったりと歩いた方がよかったんじゃないかという、現代日本の社会では見過ごされていた眼差しである。
  1. 2009/12/17(木) 15:15:24|
  2. 第11期修了制作・論文
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