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perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築

『perforation(穿穴)の身体化と都市の再構築』第八期生:本間

無数のちいさな危険にかまけて、大きな一つを忘れていた。
巣穴をもっているからには、どんなものがやってきても
こちらが有利だと思いこんでいたのか。

・・・巣穴をもつことの幸せに甘えていた。 

(カフカ『巣穴』より)

はじめに.巣穴から穿穴へ
人はいつも自分の巣穴をもつことを夢見てきた。巣穴は、その主にとっての生活の中心であり、身を守るシェルターであり、そして大きな財産である。だからこそ、多くの人々にとって巣穴、すなわち住居(あるいはマイホーム)を手に入れることは、今なお夢の終着点に位置づけられている。

全人口のついに過半数が都市に暮らす今日、とどまることのない地方の都市化や都市への人口流入は、「都市」人口の更なる増加を約束している。それはまた、都市の巣穴が増えることに等しく、人は常にこの巣穴を介して都市を知り、都市と関わっていく存在になることを示唆している。そしてそのとき、夢のマイホームとしての巣穴は、彼にとって世界全体ではない。外に出るための拠点として重要な位置にあることは相違ないが、それは確かに世界のごく一部に過ぎない。どんなに素晴らしい巣穴であっても、彼はやはりその身ひとつで外に出る。

だからこそ忘れてはならないのは身体への言及、すなわち都市に対する身体の主体性を問うことであろう。身体と都市の関係性は、十全な巣穴を所有するか否かとは位相の異なる問題として理解されるべきである。人はヤドカリではない。巣穴から出ることが前提であるがゆえ、これは熟考されなければならず、巣穴建設をめぐる試行錯誤と同等に吟味されるに値する問いだと考え得る。

「身体はどう主体的に都市を捉えるのか。」

本論はこの問いに対して、「せん穿けつ穴」という概念を用いて応答する。なお、穿穴作用を示すための具体的事例として、インドネシア共和国の地方都市バンドンを挙げるが、本論の意図はそこから多様な都市への応用可能性を提示することにある。

1.都市再生計画としてのperforation
 
「穿穴」という言葉は、おそらく日常的にはあまり馴染みがないだろう。一方、都市に関しては、「perforation(穿穴)」という単語が 都市再生計画の文脈で用いられている。このことは「perforation」の登場するような都市が、再生すべきとみなされた、肯定されていない都市であることを示している。そして現に今、市街地の疲弊地区や過疎化する村落、消費の停滞する商店街などを抱える各地で、適正な状態への早急な改善が求められている。では、適正な都市とは何か。快適で居心地の良い空間とは何か。都市や住居において、居心地の良さは追求されるべき要素であり、あるいは与えられるべき権利であると考えられている。一方、その対極にある居心地の悪さやそれに関わる感覚とは、まったく不要な否定要素なのだろうか。この疑問を抱えつつも、まずは、都市再生計画における「perforation」の紹介から始める。以下に、再生プロジェクトの成功例として評価されるスペイン北部の都市、バルセロナの事例から「perforation」の概略を示していく。

1999年、バルセロナはRIBA(王立英国建築家協会=Royal Institute of British Architects)から金賞を授与された。通常、優れた建築家の功績を讃えるこの賞が、都市自体に与えられたのは初めてのことであり、これを機にバルセロナは都市再生の成功モデルとして、ヨーロッパを中心に影響を広げていく。現在では、「バルセロナ・モデル」という名が流通し、都市再生分野で広く使われているが、ここでは旧市街地における再生への取組みに絞って、バルセロナ・モデルを参照したい。
まず、バルセロナ・モデルの基本概念には、「公共空間を人の手に取り戻す」ことが挙げられている。これは旧市街地の抱える問題に起因する。典型的な疲弊地区であるバルセロナ旧市街地は、売春、犯罪、麻薬といった社会問題が1970年代にはすでに深刻化していた。産業革命以前からのこうした都市部は、路地が張りめぐらされた徒歩中心の市街地で、人口密度が極めて高い。低所得者、失業者および移民が居住者の主流をなし、治安の悪さゆえに外部からの人の流入は途絶え、閉じられた内部はますます犯罪の温床と化した。
そこで対応策として提案されたのが公共空間の創出であり、「perforation(穿穴)」の手法であった。具体的にはまず老朽化した建物を撤去し、整備した後、小広場やカフェテラスとして活用する。それは、これ以上の新規建設が不可能な建物密集地区において、やむを得ないと同時に戦略的な手法であった。不要な建物の除去は、閉塞的な空間に陽射しと風を呼び込み、人を集め、人通りを生んだ。建築物をマイナスすることで空間の価値を上げる、これが「perforation」の発想であり、都市内部に気泡を入れるという意味で「スポンジ化」とも称されている。
では、perforationによって住民自身はどう変わったのか。それまで、疲弊地区の住民は、荒廃と惰性とあきらめの中で暮らしていた。劣悪な環境下での日常は、彼らをより無気力へと追いやり、近隣への愛着を奪った。そんな中、既存の建物を減らすというシンプルな手法による公共空間の出現が、地区の明るい風穴となり、新しいアイデンティティを創出し、居住者に肯定的な帰属意識を芽生えさせた。そしてかつては投げやりだった彼らが、ついには進んで手入れするまでに変わったのである。
バルセロナ・モデルをこのような成功に導いたのは、マイナス部分をプラスしていく、という発想の転換であった。一般的に都市の社会資本とみなされるのは、電気やガス、交通などの各種インフラ、通信などの情報インフラ、そして公共施設である。すわなち、多様なモノの集積が社会資本を構成すると考えられている。一方、バルセロナはモノ自体ではなく、その外部にある「空間」に焦点をあてた。それは、建築物を社会資本と認識した場合の残余の部分を指す(註1)。しかし、これこそが空間的ゆとりとして、都市の総体的な質を高めると考え、バルセロナは、従来の新設増加型の都市再開発ではなく、「穴」をあえて「穿つ」手法を選択したのである。
それはまさしく従来の価値の転倒であり、地図に置き換えるならば、地と図はちょうど反転するだろう。建築物を「図」と捉える一般的な都市認識に立てば、余白のスペースは「地」として単なる背景へ後退する。したがって、都市の社会資本を増加するには、新たな建物の追加あるいは建築の高層化等で補充せざるを得ない。しかし余白部分を「図」と捉えるならば、高密度な疲弊地区の場合、既存の建物を除去して空間を増やすことが社会資本の増加へと繋がっていく。(註2)
バルセロナ・モデルが示すのは、都市に「穴」を「穿つ」ことの多大なポテンシャルなのである。

-都市再生計画から身体へ-
都市に穴を穿つことで、空間の活性化が促進される。この場合の活性化とは、単に日照条件や通気性の向上だけに限られない。穴である空間を契機に、人や物が流れる。穴の求心性が人を誘引し、そこまでの移動とそこからの帰還をもたらす。実質的な人の流れは、確かなインパクトとしてその空間を賑わし、魅力を創造し、経済を刺激する。穴を点在させることで、活性化はいっそう増幅される。そして部分としての個々の穴が互いに関係し全体へと連鎖することで、空間そのものが躍動へ向かう。

これらの穴に接近し、よりミクロな視点で凝視するとき、そこに身体が現れる。それは、上述した都市の穴の機能を再現あるいは集約する身体、すなわちperforateする身体である。身体は移動しながら行く先々に空気の流れをもたらし、空間を振動させるインパクトをもって穴を穿つ。都市にはこのとき、再生計画の実践による穴と、身体により穿たれた穴とが重層して存在している。
2. 身体のperforation -事例としての都市バンドン

都市と身体をつなぐ概念としてperforationを提示するにあたり、具体的事例としてインドネシア共和国の都市バンドン(註3)と、フィールドワークを行うため約十ヶ月間、現地に滞在した私自身の身体の経験(註4)を俎上に載せる。もっとも、概念自体は対象をこれに限るものではなく、各都市並びに各身体に相応するperforationが考慮される。


2-1 非日常の身体
【ハレとケ】
 バンドンの日常と、それを調査する私の身体とをperforationを介して読み解くためには、日常および非日常の概念を無視することはできないだろう。

日常に対する非日常、聖に対する俗、ハレ(晴れ)に対するケ(穢)。表現は異なるが、これらはすべて空間に関わる言語であり、また、この二項対立の本質は、対立ではなくむしろ相互補完的な関係にある。「ケ」としての普段の暮らしを営みながら、折に触れて執り行われる「ハレ」の祭事において、日ごろのストレスを発散する。日常と非日常を交互に反復することで、身体は躍動し、リセットされ、新たに生まれ変わる。そしてこの反復が空間にダイナミズムをもたらし、あるいはまた、ダイナミズムを維持するために日常と非日常は反復される。

【儀礼的身体】
 日常から距離を置くこと、すなわち非日常とは、マージナルな場所への移行であり、境界性(liminality)の空間を指す。リミナルな身体への対処法を儀礼的身体の特徴から考察していく。
儀礼とは、日常の流れとしての時間の連続性を遮断し、不連続性を刻印付けることで出現する空白あるいは境界領域である。日常を「ケ」あるいは「俗」とするのに対し、儀礼は「ハレ」、「聖」の役割を担っている。こうした儀礼空間は、ときに身体のトランス状態からカオス化する不安や脅威に晒されているが、そもそも身体にまつわる不安とは、身体が自然的範疇に属すことに起因する。通過儀礼にしばしば見られる身体加工や身体装飾は、自己を理解可能な文化的範疇へと回収し、身体への慢性的不安を解消した。こうしてカオスや苦痛、またその主役であるリミナルな身体は、儀礼という枠組みの中で容認され消化される。したがって、不安や脅威は儀礼空間へ凝縮され、日常の中に持ち込まれないよう制御されている。
では、リミナルな身体が儀礼へと回収できない場合、どう対処するのか。それは日常空間では消化しきれないため、まず、マージナルな領域への排除対象となる。しかし、現実的な土地からの追放が叶わないとき、その身体はとどまり続ける場ちがいなものとみなされ、排除の対象から監視の対象へと変移するだろう。

都市バンドンに投じられた私の身体は、居住者たちの日常におけるリミナルで場ちがいな、すなわち異質な身体であった。そしてそれは、異質性というインパクトを武器に彼らの日常空間にperforateする身体なのである。


2-2 異郷人と異郷化
【異郷人の身体】
では、バンドンの異質性として、perforateするこの身体を何と呼び得るのか。
以下に、ゲオルグ・ジンメルの「異郷人」を参照していく。
 
ジンメルは、その著書『社会学』に収められた『異郷人についての補説』の中で、「異郷人」を「今日訪れ来て明日去り行く放浪者としてではなく、むしろ今日訪れて明日もとどまる者」と意味づけている。そしてさらに「一定の空間的な広がり?あるいは、その境界規定が空間的なそれに類似した広がり?の内部に定着してはいるが、しかしこの広がりのなかにおける彼の位置は、彼がはじめからそこへ所属していないということ、彼がそこには由来せず、また由来することのできない性質をそこへもたらすことによって、本質的に規定されている(註5)」と続ける。
 この異郷人こそが、まさしくperforateする明らかな主体に他ならない。日常の空間の中に非日常を象徴する異郷人の身体は在り、したがって、異郷人が異郷人として定義されるためには、非異郷人との空間の共有が必要になる。そして異郷人の存在はまた、同一空間に内在する身体の位相の複数性を浮かび上がらせる。
一方、空間を満たすものとは、その空間を構成しているものを指す。すなわち空間の共有者たちは各々がその空間の構成要素であり、異郷人もその一つとして機能する。こうした一つの空間とは、外部の登場によって内部が意識され、境界が生まれた結果であるとともに、その境界内に侵入する外部によって更に補強されていく。したがって、空間の性質をより明確化するには、内的な構成要素と外的な構成要素の同居、そして外的要素が内的要素の確認装置となることが不可欠になる。
このように、構成要素でありながらも決して内部に属さない異郷人を、ジンメルは「有機的」であると言う。「非有機的なつながりを通じて」なお、異郷人は「集団のひとつの有機的な構成員」として、空間にひとつの統一性を与える。よって、この統一性とは「ある程度の近さ」(内的要素)と、「ある程度の遠さ」(外的要素)から合成されており、更にこの「近さ」と「遠さ」を一身体に具備したものが異郷人となる。近接と遠隔を同時に表象するもの、近くて遠い存在?それが異郷人なのである。
この空間的近接性及び社会関係的遠隔性は、perforateする身体の検証にとって有効に作用していくだろう。
慣れた近傍を、遠さを映す鏡としての異郷人が闊歩するとき、ひとつの空間の中で近接と遠隔が出会い、縫合される。このとき異郷人は、この縫い目あるいは裂け目から「客観性」をもって空間を捉え返す。ジンメルによる「客観性」とは傍観者としての「無関与とか無関心」を指すのではなく、一つの「関与の型」であるとともに「自由」を併せ持っている。既存の固定観念から自由な立場は、空間内の事象を客観的な「鳥の視座」から捉えられると言うのである。一般に「鳥の目」と表現されるこの視点は、物事を離れた場所から俯瞰し全体をマクロに捉える視点を指すが、果たして異郷人の目はこの「鳥の目」に等しいのだろうか。それは「鳥の目」であると同時に、物事を現場で細部まで注視する「虫の目」でもあるだろう。一方、もともとの居住者の目も「虫の目」として現場を見つめている。しかし、その現場に異郷人を発見するとき、彼はまた内省的に自己を発見するだろう。都市のあちこちで発見される異郷人はその意思に関わらず、身体のインパクトによって自己主張し、居住者へと跳ね返っては彼の身体をも鮮明にあぶり出す。消去不可能な身体という決定的主張が、居住者を居住者として、異郷人を異郷人として、明確に境界付ける。異郷人は「内なる敵」として、常に空間内に緊張をもたらす存在なのである。

ここでバンドンという都市の歴史的背景を概観する。実は、バンドンは異郷人の集住から始まる都市であった。既存の異郷人の存在について以下に参照していくが、彼らはすでに都市バンドンにとっての前提であり、もはや異郷人とは同定しがたい存在となっている。

【既存の異郷人】
『異郷人についての補説』の中で、ジンメルは「商人」の存在について次のように位置づけている。「経済の全歴史をつうじて異郷人はいたるところにおいて商人としてあらわれるか、あるいは商人は異郷人としてあらわれる(註6)」。ここで「商人=異郷人」という関係図式が出来上がる。ある圏域における自給自足的経済が、外部の生産物を必要とみなしたとき、内部の者が直接異郷へ出向く代わりに、商人が異郷人としてやって来る。ジンメルによると「商業は第一次的な生産よりもつねになお多くの人間を受けいれることができ」るため、「もともと経済的な地位がすでに占有されている圏」へ「定員外」の存在として侵入しやすく、商人であることが異郷人としての定着を可能にすると言う。
しかし、バンドンにおける「商人」たちは、内部の者が外部の生産物を求めた結果に生まれたのではなく、むしろ外部の彼らが内部を必要としたのであった。彼らはバンドンの都市化とともに周縁から流入した労働者であり、商人として都市の隙間で商売をした。
現在、多くの開発途上国の都市が抱える重要な問題のひとつに、地方から都市部への人口流入が挙げられる。この問題は、農業の機械化による労働者の余剰や、少ない労働の分配による貧困などを背景にもつ。農村部の人々は、都心に出れば就業機会に恵まれ、現代的設備の整った豊かな生活が待っていると信じて土地を離れる。
 こうした地方からの移民には、特定の地域へ集住する傾向が見られた。彼らはまず同郷の者を頼りに都市へやって来て、同じ地区に住まい、仕事を斡旋してもらう。そして次の新参者が来ると、今度は先輩として同じように振舞う。その結果、同郷者の集住する場所があちこちに点在し、それぞれのエリアは、出身地の郷土料理や方言、他の慣習に満たされた特有の空間になった。「ひとつの侵入」は「たちまち多数化し」、内部の特定の場所に「細分化し差異化され」ていったのである(註7)。こうしてバンドンは都市へと発展してきた。外来性が日常化された結果、地方移民の人口はバンドン全人口の実に約80%(もともとのバンドン人は4分の1以下であり、さらに地方移民の80%は西ジャワ出身とされる)に達するとさえ言われている。異郷人として侵入した「商人」である彼らは、もはや都市バンドンの不可欠な構成要素であり、バンドン市民の主流として十分な存在感を蓄えたと言えるだろう。(註8)

既存の異郷人は、上述の通り居住者の側に属すことを確認するとともに、本論におけるバンドンの異郷人は、引き続き、フィールドワーク時の私の身体とする。
バンドン市民にとって、私の身体は当然まだ異郷人であり、自己の文化的範疇における異質性である。異質性は不安を煽り、脅威となるために排除の対象とされるが、異郷人である私は儀礼的装置をもって回収できない。その代替として、居住者たちは脅威自体を解読しようと異郷人を注視(監視)する。穴の開くほど見つめることで、彼らが不安の解消を図るとき、私という異郷人の属性にその元凶を発見する。そしてそこには見つかるのは、極めて今日的な要素、すなわち共通する同時代性と背反する距離ではないだろうか。

【異郷化される身体】
こうした今日的な不安に関して、ジャン=リュック・ナンシーは「異郷化」という言葉で表現している。グローバリゼーションの進展は故郷と異郷の差異を希薄化させ、人々の間に「帰属の不安」を拡げた。その結果として、「精神的な異郷化が避けられ」ず、同じ土地にとどまっていても居心地の悪さを感じてしまう。それほどまでに世界全体の風景は変わってしまったのだ、と。
 風景の変容に多大な貢献をしたのは、メディアのもたらす膨大な情報である。同時代性を共有するための情報群は、どんな場所にも瞬時に侵入し氾濫する。現実の距離まで超克したかのようなそれらは、通常よそからの「侵入者」とはみなされない。情報とはほとんど無条件に有益であると信じられ、そうでないものは有害情報としてその有害性を強調される。情報という名の道徳的正しさは、それが侵入者であることを「門口で抹消」し、「敷居を超える前に」見事に溶解することにある(註7)。それゆえ情報はよそから来た侵入者であることを咎められはしないが、結果としては、現実の空間における既存の遠近法を崩している。近接と遠隔が混在し、距離が複層的に交差するアンバランスな空間が、人を「異郷化」の不安へと導いていく。

今日のバンドン居住者は、果たしてこの不安の該当者なのか。Merlina Limの図示(出典:『From Walking City to Telematic Metropolis: Changing Urban Form in Bandung, Indonesia』)に基づき、都市バンドンにおける情報通信技術の歴史的発展を追うことで、情報の氾濫あるいはそこに潜む不安を推量する手がかりとしたい。

(1) Walking city 

1800~1900年代のバンドンのコミュニケーション手段は、人や物資の実際の移動に頼っていた。徒歩や馬による移動は、あらゆる活動がより近接した範囲で行われることを要求し、具体的には徒歩の場合は3~6km、馬の場合はその倍程度が限界とされた。Walking cityとは、活動範囲が凝縮された職住近接の都市形態を指す。


(2) Agricultural city
 1895年、バンドンで最初の電話会社が設立された。設立者はK.A.R.Bosschaと言うバンドン北部のプランテーション経営者である。この電話会社の契約者数は157で、その多くは北部のプランテーション経営者たちであった。彼らは市内で週末を過ごしていても、プランテーションの状況を知ることが可能になった。電話により、経営者たちはプランテーションの現場から解放されたのである。一方、電話の誕生は直接対面する必要を奪ったのではなく、離れたビジネスコミュニティーへの参加を容易にし、彼らをいっそう親密にした。
(3) Industrial city

1970年代、バンドン近郊ではテキスタイルを始めとする各種製造業が爆発的な成長を遂げた。電話によるコンタクトが一般化したことで、工場と本部はそれぞれ別の場所に設置されている。その結果として、都市中心部は商業やマーケティング活動の場として確立され、バンドン南部及び西部は製造工場および工場労働者の居住地域として発展していった。

(4) Telecommunication city

バンドンは首都ジャカルタに次いで電信と電話が引かれ、ラジオ局、郵便局及び電信電話局はインドネシアで最初に設立された。バンドンが通信技術の中心地として選ばれた理由は、首都ジャカルタからの地理的近接性のほか、バンドン工科大学を中心に、科学技術のシンクタンク的役割を担っていた点にある。現在では、Bandung High
-Tech Valleyというプロジェクトによって、未来のインドネシア・シリコンバレーとみなされている。

(4-1) ワルテル時代
インドネシアでの電話回線契約者は、1980年代は50万件、1990年までに100万件、そして1998年には650万件へと拡大したが、それでも国民全体のわずか3%にすぎなかった。そこで一般への電話供給手段としてワルテル(wartel)が登場する。ワルテル(wartel)とはwarung(店)と telepon(電話)の合成語であり、コインやカード式の公衆電話ではなく、小規模の店舗形式を採用している。1996年、バンドンを中心にワルテル経営がビジネスブームとなる。ワルテルは大学などの教育施設周辺や、低中所得者層の居住地区に積極的に設置された。
  現在もなお固定電話の主流はワルテルであるが、携帯電話(HP=Hand-Phone)の普及率は飛躍的に伸びている。1993年、インドネシアでの携帯電話利用者はわずか約3.3万人であった(同年のマレーシアは22.6万人)が、1995年には19.3万人、1996年には59.3万人へと増加する。それから約十年後の2005年には4200万人に達している。2006年の調査では、インドネシアの携帯電話利用者数はアジア太平洋地区で第4位、全体の6%のシェアを占めている。携帯電話の新機種をもつことは、もはや新たなステータスシンボルとなっている。

(4-2) ワルネット時代
1999年の調査でインドネシアのインターネット利用者はわずか1.2%と報告され、2000年のJakarta Postの調査でも2%にとどまっている。これは上述の通り、一般家庭に電話回線が引かれていないため、必然的にインターネット契約者数も制限された結果と映るだろう。しかし、バンドンの実情はこれと大きく異なると言える。現在、バンドンにはワルネット(warnet=warung:店+internet)と呼ばれるインターネットカフェが100以上あり、一日の総利用者数は4000人以上である。ワルネットは学校や下宿施設の周辺に集まり、既存のワルテルにネット機能を追加した店舗も多い。主な利用者は大学生や10代の学生であるが、これはインドネシアの学生がアルバイトをしないことにも関係があると思われる。放課後の時間を費やす場所として、彼らはワルネットを選び、メールやチャットを楽しむのである。したがって、学生人口とワルネット事業の繁栄は比例し、学園都市であるバンドンには次々と店舗が増設されている。そしてワルネットの集客性が車の流れや行商人の活動エリアに作用し、それらは今、都市の景観を変えつつある。こうした情報通信技術の発展は、都市の形状そのものを変容させる可能性だと言えるだろう。もはや日常風景と化したワルネットから、人々はいつでも容易に情報を取り出せる。どれほど離れた情報にも自在にアクセスし、取り込みたいだけ取り込めるのである。
彼らは今日もワルネットへと足を運び、世界の最新情報をその身の内に飽和させ、路地裏の奥の住居へと再び帰っていくのだろう。(註9)

     
(●:大学施設の所在地)          (●:ワルネット所在地)
(出典:Ahmad Rida Soemardi, Irendra Radjawali 『Creative Culture and Urban Planning:
The Bandung experience』)
これがアンバランスな空間、すなわち人々に不安をもたらす「異郷化」された場所ではないだろうか。しかしこの不安が、「大切なのは、異郷化を恐れないことだ」と言うナンシーの言葉に後押しされて解消手段を模索するならば、それは排除や監視などではなく、異郷化がもたらす「開け」にあると気づくだろう。

この「開け」になるもの、それが穴である。異郷人の身体も排除と監視の対象であると同時に、異質性というインパクトにおいて穴を穿ち、その穴を風穴として開いている。時間とともに増える穴は、やがて都市そのものに反映する可能性を秘めている。

2-3 穴と孔
【都市の穴】
空間内を移動する身体の軌跡を追うとき、それは明らかに一筋の線である。線が指示するのは動線すなわち各目的地への過程であり、ある程度の期間に及ぶならば、日常的な行動パターンの視覚化として見ることもできるだろう。
一身体に照準を当てれば線となるものを、この身体に出会う側に立って描写する場合、そこに現れるのは分散した点の集合である。この点は各場面での〈衝突=impact〉、すなわちある角を曲がった瞬間の偶発的でアフォーダンス的な出会いを指している。これらの点をより鳥瞰的に見るならば、各衝突点は都市に開いた穴として映らないだろうか。そして穴の犯人が異郷人の身体であることは、この点描を、都市にperforateする身体の図として読むことを可能にする。
上記の視点は上空からの目、いわゆる鳥の目であるが、perforationの各場面に立ち会うのは、異郷人および居住者の虫の目である。しかしこのとき、居住者の視線の先にあるのは、異郷人の身体だけではない。異郷人の身体の属性、さらには所属先の空間自体へと向けられている。衝突点に開く穴は、穴の向こう側への欲望と想像力を生み、こちらとあちらを接続している。異郷人の身体はこの瞬間、監視すべき脅威から未知なる可能性を想像させるものへと反転するのである。

【身体の孔】
穴を穿つ身体は、さらに孔を具備した身体でもある。皮膚上に多数の孔を有し、それを通じて呼吸する身体は、いわば孔により常に外部と交流している。また、孔の集合体としての皮膚の下では、浸透圧に基づいて透過と遮断を不断に行っている。こうした機能は、居住者の空間と絶えず調整をはかる異郷人のあり方に重ならないだろうか。それは、内外の差異をなくし、滑らかに移行するための永続的な流動である。ミクロな視点において孔により流動する身体は、マクロな視点ではそれ自身が穴を生み流動を促進する。そしてこの流動性が、空間に動態性と躍動を与えている。(註10)
3.都市と身体のperforation

【空間の躍動性】
空間の躍動には、先に述べた「ハレ」の機能が関係する。空間にダイナミズムをもたらし、活性化させる装置としての「ハレ」である。したがって、異郷人の身体とは既存の空間において「ハレ」の機能を果たしていると言える。
本来、日常空間とは「ハレ」と「ケ」の反復の上に成立している。あるいは「ハレ」を内包したものが「ケ」であるとも考えられる。すなわち、非日常を所与のものとして、日常は規定されている。
しかしながら、古来の「ハレ」の風習は、過去と同等に機能しているだろうか。季節行事は減少し、儀礼の多くが衰退していることに加え、それらはかつてのような効力を有しているとは明言しがたい。それは「ハレ」を失った「ケ」の空間である。「ケ」のみの日常空間とは、本来ありえなかった構成図式であり、交互に反復されるべき要素の不在を意味している。一本調子で平板な日常とは、疲弊地区の住民のあきらめの念に見られるように、自発性を奪い、脱力させ、やがて身体を硬直させる。固まった、あるいは停止した身体がもたらすのは新たな別の脅威、すなわち停止した空間である。「ハレ」と「ケ」の起伏が失われることは、空間のリズムを奪うことであり、リズムの消失は空間からダイナミズムを奪うことに他ならない。

このダイナミズムを回復するために、perforateする身体に注目していく。
「ハレ」としての非日常性が、「ケ」という日常自体の構成要素であることは、「非有機的なつながり」としての異郷人が、「集団のひとつの有機的な構成員」であることと符合する。よって、perforateする身体には「ハレ」を代替する可能性が潜在し、穴を穿つ異郷人の身体は、「ハレ」を失いつつある現代の日常において、その存在が欲望されている。

【居心地の悪さ】
異郷人への期待は、居住者の空間に躍動性を付与することにある。したがって、空間を共有する異郷人と居住者の配合は、アンバランスであることが前提となるが、そのバランスは外的要因によって唐突に反転する可能性や、あるいは時間経過とともに緩やかに変容する可能性をもっている。

バンドンという都市における私の身体は、異郷人としてのそれであり、バンドンを日常とする居住者の中での非日常の象徴であった。一方、私の身体においては、約十ヶ月間の滞在生活がいかに日常に近づこうと、バンドン自体がすでに非日常の空間である限り、真の居住者になるにはまた別の場所を要する。それは本来の日常を回復し、私の場所ではないという「居心地の悪さ」から解放されるはずの空間である。そこにおいて、バンドンで具備していた異郷人の性質は消え、快適で居心地のよい慣れた近傍への帰還を果たす。

さて、ここで冒頭に残してきた疑問を振り返ってみたい。つまり、「居心地の悪さ」やそれに関わる感覚とは完全に消去すべきなのか、という問いである。違和感や場違いの感覚は、果たして全くの否定要素なのだろうか。その答えは、先に述べた「ハレ」を失った「ケ」の空間の脅威によって、すでに与えられている。空間の躍動性を維持するには、「ハレ」の機能が不可欠である。換言すると、「居心地の良さ」に完全に支配された空間とは、「ケ」のみの躍動しない空間であり、やがては無感覚の身体を招く。そこに「ハレ」としての「居心地の悪さ」が投じられることで、空間は活性化される。したがって「居心地の悪さ」それ自体は否定の対象ではなく、むしろそうした違和感を失うことこそ否定される。最大の脅威は、無感覚の身体、まさしくそこにある。

そもそも身体を知る瞬間とは、違和感のときであった。身体装飾や身体加工に伴う苦痛は、自己の身体を知る?身体が押し返されて自己の元へと訪れ来る?装置として機能した(註11)。身体が認識される場に立ち会っているもの、それが「居心地の悪さ」であり、違和感や不調和の感覚であった。「感覚される」身体は、儀礼などの特殊な装置によって永く維持されてきたが、現在それらの舞台装置は都市の中に解体されつつある。したがって、今日の都市においてそれを維持するためには、違和感の持続的な創出を保証しなければならない。儀礼に依拠しない違和感の創出とは、異郷人の創出であり、都市の身体が無感覚の危機から脱する契機は、異郷人に委ねられている。

【異郷人性】
都市にとって、異郷人を積極的に肯定するとはどういうことか。
少し議論を整理すると、まず、異郷人と居住者という設定の前提として、両者は空間を共有している。そして両者の存在が空間に「ハレ」と「ケ」による躍動性を付与する。「ハレ」として機能する異郷人は、その「居心地の悪さ」によって自身の身体を感覚される身体として維持しており、一方、異郷人にとっての「居心地の悪さ」は、居住者の日常空間に違和感となって反響し、居住者自身の身体へと押し返される。居住者はこの違和感によって、自身の身体を感覚しなおすのである。したがって、異郷人の肯定とは、異郷人及び居住者の身体を感覚される身体、すなわち躍動する身体であることを保証する。それはまた、共有される空間自体の躍動性へとシンクロする。

しかしながら、躍動性の維持をただ異郷人にのみ依存することは、都市の現在にとって、もはや十分とは言いがたい。グローバリゼーションの波及や加速する人の移動は、多くの都市において異郷人と居住者の境界付け自体をすでに無効化してしまった。こうした現状に有効に応えるには、異郷人か否かを問うのではなく、異郷人の性質を抽出することである。異郷人のもたらす躍動性とは、異質性をインパクトとしたperforationに起因する。したがって異郷人を肯定する要素は、perforateする身体にあると言える。これを仮に異郷人性と呼ぶならば、都市において肯定される要素とは、この異郷人性に他ならない。それは性質の問題であり、ゆえに異郷人そのものである必要はない。求められているのは異郷人性を有した身体なのである。

 身体に異郷人性を具備することは、何も難しいことではない。むしろ実に容易だと言える。異郷人の「居心地の悪さ」が、居住者の違和感として居住者自身の身体の捉え直しとなったのと同様、居住者の身体も当然ながら異郷人へと反響している。そもそも居住者の身体が異郷人へと押し返されるがゆえに、異郷人の身体は「居心地が悪い」のだ。つまり、両者は相互に異質性をなしており、あらゆる身体はそれぞれの異質性を有している。異郷人ないし居住者という境界の消失にかかわらず、都市における各身体は、少なからず異郷人性を備えた存在なのである。

上述の通り、都市の現在は移動性に満ちており、多くの身体もまた、それ自身の移動によって多様な都市へとアクセスしている。そして各身体は移動したそれぞれの都市において、その空間に相応しい異郷人性を発揮する。すなわち、各都市のアイデンティティに応じてperforateするのである。都市のアイデンティティとは、都市の構成要素を指す。空間を満たしているもの全てが都市の構成要素となり、そのアイデンティティへと作用を及ぼす。人や物の流入及び流出も不断に入れ替わる構成要素として、動態的なアイデンティティを創出している。これにより都市は常に変容過程に位置づけられ、各身体はそこに柔軟にperforateする。そしてperforateする身体及び穿たれた穴が再び都市の構成要素となり、都市のアイデンティティの更新へと寄与する。こうして身体と都市は、互いに躍動性をフィードバックするのである。


むすび.ポテンシャルとしてのperforation
 
あらゆる身体は、あらゆる都市へperforateする主体である。
この主張が指示する「perforation」は、実体性をもたない。現実の土地の上に物理的な穴を穿つのではないため、当然、穴は不可視である。したがって、バルセロナ・モデルのような明瞭な有効性も認めにくい。目に見えないこの穴に、果たして何の効力を見出せるのか。

現在、多くの都市が建築構造物の集積体としての成熟期を迎えている。建物や道路及び各種社会基盤が整った市街地や郊外をもって、都市の完成形と見ることも可能かもしれない。しかしこれらの都市は今、グローバリゼーションによる新たな問題群に直面している。先に述べた疲弊地区の問題は、全世界的な人の移動と結びつき、EU諸国においては更に深刻さを増している。また、急速な少子高齢化は周縁部の過疎化や消費活動の停滞を予見させる。複雑化する都市問題は、従来の都市開発への反省となって、これまで互いに交わることのなかった各専門分野を連携へと導いた。都市計画家や建築家、土木・建設分野の他、環境保全グループや地方自治体など、官と民の垣根を越えた取組みが近年盛んに行われ、コンパクトシティや減築といった「サステイナブル」な再開発へと結実している。領域横断的なこれらの実践的取組みに対して、本論の提示するperforationはますます無効に映るかもしれない。しかしこれこそが、本来いかなる有益な実践にも先行すべき視点なのである。

現在、先進諸国の市民の大部分は、どこにでもある、いわゆる普通の都市に居住している。こうした普通の都市について、トマス・ジーバーツは「間にある都市」と表現し、文化遺産でも田園地帯でもなければ大都市でもなく、歴史的にもまだ浅いが、もはや都市の主要な一パターンであると言う。ジーバーツはこの「間にある都市」を「記憶されない」「無感覚」の都市として危惧し、人々の文化的関心の欠如を問題視する。そしてこの文化的関心、すなわち感情的な意識こそが、都市の維持と管理と責任にとって重要であると指摘する。居住者と都市の新しい関係性を築き上げるために、彼が可能性を託すのは都市デザインであり、その鍵として「美的感覚」を挙げている。人々の「美的感覚」を刺激し、それが呼び覚まされるとき、「間にある都市」はようやく各人の目に発見される。ここで尊重される「美的感覚」とは、いわば都市に対する身体の自発性として捉えることができる。進行中の都市的実践の多くが実学的理論に基づくあまり、この「美的感覚」に対応する部分を放置しつづけるならば、その先に現れるのは、乖離する都市と身体、すなわち再生産される「間にある都市」と、そこに住む自発性を欠いた身体ではないだろうか。

「美的感覚」と機能を重ねるもの、それを身体のperforationに見出すとき、perforationは都市への自発的関与をかなえるものとして、「身体は都市をどう主体的に捉えるのか」という問いへの応答になり得る。ここで重要なのは美的感覚と同様、それを刺激し呼び覚ますこと、perforationの自覚であろう。身体がperforateする自覚をもって都市へアクセスするならば、実感される都市、すなわち身体にとっての一つの現実が変容する。各人における都市とは、建築構造物の集積体であるだけでなく、そこに音や匂い、温度や湿度、肌が感じとる様々な質感等を織り交ぜた一連の空間体験の産物であり、現実的で実体的であるとともに、限りなく感覚的なものである。したがって、主体的に関わることで都市が今までと違って見えてくるならば、それは空間体験の変質であり、各身体にとってはまさに都市そのものの変容と言える。そしてこうした身体が都市に増幅することで、既存の実学的な都市計画及び実践は本来の有効性を発揮する一方、都市というものの捉え方が変わり、都市の実体が意識され直すことで、計画の再検討や実践の軌道修正が都市を刷新へと導くかもしれない。

身体からの新たなフィルターを通して都市を捉えること、すなわちperforationの知見を身体化して都市へ繰り出すことは、都市と身体を相互不可分の関係へと整え、都市をその根本から再構築していく、大きなポテンシャルを備えているのである。

【註】
(註1)
モノから空間への社会資本のパラダイムシフトについて、岡部明子は街路空間を例に説明している。公共投資によるインフラと民間投資の建築物の複合する現代都市において、「通り」の社会資本は道路だけでなく、「道路+道路に面した建築物(ファサード)」と考えられる。すなわち「道路A+建築物B+建築物B´=社会資本」であり(図1)、この指示内容は「空間C」(図2)となるのである。

(註2)図と地を反転させたノッリのローマ地図
    公共アクセス可能な部分(街路、広場、宗教施設など)が白抜きになっており、公共空間の連鎖が浮かび上がる図式となっている。民間の建築物は黒く塗り潰されている。



(註3) Bandung(バンドン)
西ジャワ州の州都。インドネシア第3の都市。
標高:768m, 面積:168Km_, 人口:277万1138人, 人口密度:16,494/km_ (2005年)

1809年、イギリスに対する防衛体制の強化を命じられたオランダ軍知事H.W.Daendelsは、バンドンが山に囲まれた低地であり、軍事防衛戦略に適した土地であると判断した。そしてジャワ島の東西を結ぶ道路建設にとりかかり、首都機能をバタビア(現ジャカルタ)からバンドンへ移転するよう命じた。
19世紀のオランダ植民地時代は、バンドン郊外にプランテーションが発展する。気候の良い高原地帯であるバンドンは、オランダ人の避暑地及び居住地として約30万人規模の都市を想定して建設された。西欧的な町並みは「花の都」、「ジャワのパリ」と讃えられる。
1920年、Technische Hogeschoolが設立された。これは現在のバンドン工科大学(ITB)であり、インドネシア初代大統領スカルノの出身校である。
1946年、インドネシア独立戦争の折り、バンドンはインドネシア人自身によって全焼させられる(Bandung Lautan Api)。他国の手に落ちるより、自らの手での破壊を選んだ結果であった。
1955年の第一回アジア・アフリカ会議は、都市バンドンの知名度を飛躍的に上げた。1955年から1959年まで、インドネシア議会はバンドンに移った(1966年ジャカルタに移動)。
現在、バンドンはインドネシア国内の主要な観光地の一つであり、週末には首都ジャカルタなどからの観光客でにぎわう。ショッピングモールやアウトレット店が建ち並び、ファッションの町として知られている。また、12の国立大学の他、多数の高等教育施設を有した学園都市でもある。
ジャカルタからは高速鉄道で3時間半ほどであったが、2005年に開通したCipularang高速道路により約2時間でのアクセスが可能となった。

宗教としては、バンドンではイスラム教が主流である。世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシア共和国であるが、イスラム教は国教ではない。国内の宗教人口の割合は、人口の87%がイスラム教、10%がキリスト教、2%がヒンドゥー教である。しかし、各宗教人口の比率は地域によって大きく異なる(以下を参照)。

西ジャワ (バンドン含む) 97%=イスラム
バリ 90%=ヒンズー
東ヌサトゥンガラ 50%=カトリック、30%=プロテスタント、10%=イスラム
北スラウェシ 48%=イスラム、48%=プロテスタント
イリアンジャヤ 60%=プロテスタント、20%=カトリック、20%=イスラム
マルク 55%=イスラム、35%=プロテスタント
東ティモール(独立済み) 90%=カトリック、3%=プロテスタント、3%=イスラム
都市構成は宗教的建築物および配置等の影響を受ける。また、服装規定や生活様式の多くが主流の宗教に拠る。これらは身体の都市へのアクセスに制約を加える、各都市固有の要素である。


(註4)筆者は2002年8月から2003年6月まで、フィールドワークのためバンドンに滞在した。
バンドンを訪れたのはこのときが最初である。

(註5)ゲオルグ・ジンメル「異郷人についての補説」『社会学 下巻』 P.285

(註6)ゲオルグ・ジンメル「異郷人についての補説」『社会学 下巻』 P.286

(註7)ジャン=リュック・ナンシー 『侵入者 いま<生命>はどこに?』
(註8)
出身地ごとに居住区を作る一方で、インドネシアにおける地方移民の一部は循環型である。労働のための都市部での滞在と故郷での生活を往復する。季節労働あるいは数年単位で移動を繰返す彼らは、人生の大半をバンドンで過ごしながらも自らをバンドン人と称する者は少ないだろう。また、こうした出稼ぎ人の従事する職業の多くはインフォーマルセクター(飲食物・生活雑貨の行商人、三輪自転車becakの運転手など)であるが、特に飲食物の行商においては、出身地と商品は密接に関係している。例えば、Sumedang出身者はtahu(豆腐)、Brebes及びTegal出身者はmie baso(肉団子入り汁ソバ)、Majalengka出身者はbaso tahu(肉団子入り豆腐)と言った具合である。
 

(註9)
  学園都市としてのバンドンには、12の国立大学をはじめとする50以上の高等教育機関が置かれている。インドネシアの国立大学受験制度は、全国統一試験の受験結果によって合否が決まり、高い競争率を勝ち抜いた高校生(受験生)のほとんどは上位5位までの大学に進学する。その一つがバンドン工科大学(ITB)である。この全国統一試験に向けた準備プログラムが、現在、新たな産業として定着している。毎年、何千もの高校生がこのプログラムを受講するためにバンドンに滞在する。そして大学入学後も、彼らはバンドンに下宿する。一方、受験に失敗した場合も多くはそのままバンドンに残り、私立大学へ進学したり、翌年の再受験に向けての浪人生活を送ることになる。したがって学園都市としての性格は、国内各地方からの若年層の人口流入を招来している。
 
バンドン内の高等教育就学人口について正確な数値が取れなかったため、参考までに規模の大きな2大学の学生数を挙げる。
    ・バンドン工科大学(ITB)=学生数:約15,000人(2004年)
    ・パジャジャラン大学(UNPAD)=学生数:約40,900人(2005年)
  ちなみに2002年度の西ジャワ州全体の大学生数(国立・私立)は約307,000人である。西ジャワ州の大学がバンドンに集中していることを考えると、学生人口の占める割合の多さが推測できる。
  
また、各学生は大学から約半径3km以内の範囲に下宿するのが一般的である。(ITBとUNPADの2校間の距離は車で約10分弱である。)通学手段が限定されているため(アンコットという乗合いのワゴンバスもしくは徒歩)、大学周辺の居住者層を占めるのは学生である。このことは、地方からの学生という「異郷人」が、学園都市バンドンの構成要素としてすでに了解済みの内包された存在であることを示唆している。そしてまた、学生の集中する居住地区とワルネットの店舗数との比例関係から、都市バンドンのこうしたエリアを、現実と情報の近接と遠隔の濃密な流出の場、すなわち異郷化の不安のうずまく空間とも捉えられるだろう。

(註10)
孔:porosity(ポロシティ)
  2006年6月、「Luminosity/Porosity」というタイトルで建築家スティーヴン・ホールの展覧会が行われた。この展示で彼が追求するのは「光:Luminosity」と「孔:Porosity」の様相からの建築と都市化とランドスケープの一体化であり、さらには「物質」と「精神」の融合である。建築を経験するときの感動は物体としての形状ではなく、「空間の内側、空間の周囲、空間の間といった空間の存在そのものがおこす一連の現象(シークエンス)を経験することによる」とし、孔が生み出す光(と影)の効果を具体的に表した。ホールにとっての孔とは、穿つことにより内部へと光をもたらし、空間を変質するものである。また彼は、都市性に関するキーワードの一つに「融合:Fusion」を取り上げている。建築と都市、都市と自然といった内外の融合について、これらの境界面を主張することでホールは答えようとする。すなわち境界面に孔を開けることで、両者の交通をはかろうとしているのである。


(註11)
ジャック・ラカンの鏡像段階理論は、身体を引き受ける瞬間の違和感すなわち自己矛盾への指摘として示唆に富んでいる。自己の身体は鏡の向こうから押し返されてやってくる。そしてこの自己認識は、鏡に映っている母という他者の承認(「それがお前だよ」という母の眼差し)によって成立し、母という他者の欲望の対象の中に初めて自己の欲望を見定めることができる。それはつまり、異郷人の身体を見て自己の身体を知ることであり、鏡のように穴をのぞき込むとき、穴は欲望の収斂する場なのである。
【 参考文献 】
Kuswara, Ramalis Subandi, Rian Wulan Desriani 『Characteristic of Urban Development and Commuters in Metropolitan Bandung』 Geographical Information Technology and Applications 2006
Merlina Lim 『From Walking City to Telematic Metropolis: Changing Urban Form in Bandung, Indonesia』 Brill Academic Publisher, 2002
Ahmad Rida Soemardi, Irendra Radjawali 『Creative Culture and Urban Planning: The Bandung experience』 The eleventh International Planning History Conference, 2004
Haryo Winarso 『Housing for low income people in Indonesia, The inner city redevelopment strategy: A learning from the メIndustri Dalamモ case in Bandung, Indonesia』 Max Lock Centre, 1999
Edi Suharto 『Human Development and The Urban Informal Sector in Bandung, Indonesia: The Poverty Issue』 New Zealand Journal of Asian Studies 4, 2002
Hans-Dieter Evers 『The End of Urban Involution and the Cultural Construction of Urbanism in Indonesia』 a conference: Asian Horizons, 2005
Tri Basuki, Hisashi Kubota 『The Characteristic of Paratransit and Non-Motorized Transport in Bandung, Indonesia』 Journal of the Eastern Asia Society for Transportation Studies, 2005
Ofyar Z Tamin 『Integrated Public and Road Transport Network System for Bandung Metropolitan Area(Indonesia)』 Journal of the Eastern Asia Society for Transportation Studies, 2005
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アルフレッド・シュッツ 『現象学的社会学』 森川眞規雄・浜日出夫訳,紀伊國屋書店,1980
ヴィンフリート・メニングハウス 『敷居学 ベンヤミンの神話のパサージュ』 伊藤秀一訳,現代思潮新社,2000
ヴィクター・ターナー 『儀礼の過程』 富蔵光雄訳,思案社,1976
ゲオルグ・ジンメル 『ジンメル・コレクション』 北川東子編訳,鈴木直訳,ちくま学芸文庫,1999
ゲオルグ・ジンメル 「大都市と精神生活」 『ジンメル著作集12』 居安正他訳,白水社,1976
ゲオルグ・ジンメル 『社会学 下巻』 居安正訳,白水社,1994
ジャック・ラカン 『エクリ』 弘文社,1972
ジャン=リュック・ナンシー 『イメージの奥底で』 西山達也・大道寺玲央訳,以文社,2006
ジャン=リュック・ナンシー 『肖像の眼差し』 岡田温司・長友文史訳,人文書院,2004
ジャン=リュック・ナンシー 『侵入者 いま<生命>はどこに?』 西谷修訳,以文社,2000
ジャン=リュック・ナンシー 「異郷化」 朝日新聞2006年5月22日夕刊
スティーヴン・ホール 『ルミノシティ/ポロシティ』 TOTO出版,2006
トマス・ジーバーツ『都市田園計画の展望?「間にある都市」の思想』学芸出版社, 2006
ピーター・バーガー,トーマス・ルックマン 『日常世界の構成?アイデンティティと社会の弁証法 』 新曜社,1977
モーリス・メルロ=ポンティ 『メルロ=ポンティコレクション』 中山元訳,ちくま学芸文庫,1999
モーリス・メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』 竹内芳郎・小木貞孝訳,みすず書房,1967
青木保 『儀礼の象徴性』 岩波現代文庫,2006
池内紀編訳 『カフカ寓話集』 岩波書店,1998
宇沢弘文 『社会的共通資本』 岩波新書,2000
宇沢弘文 『都市のルネッサンスを求めて-社会的共通資本としての都市』 東京大学出版会,2003
大野道那 『身体の社会学 フロンティアと応用』 油井清光・竹中克久編,世界思想社,2005
岡部明子 『サステイナブルシティ?EUの地域・環境戦略』 学芸出版社,2003
岡部明子 『持続可能な都市?欧米の試みから何を学ぶか』 福川裕一,矢作浩,岩波書店,2005
岡部明子 『ユーロアーキテクツ』 学芸出版社,1998
中野隆生編 『都市空間と民衆 日本とフランス』 山川出版社,2006
  1. 2007/03/13(火) 13:22:11|
  2. 論文ボックス
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  4. | コメント:4

コメント

研究生の田中です。
いささか時期はずれになってしまいましたが、感想を述べさせていただこうかと思います。
神楽坂で発表を聞いた時は なんて難しい話をする人なんだろうと思いましたが、このブログにのった論文を読んでみてもやっぱり難しい・・・。  で、いささか的外れな感想だとしても許してください。
私が感じたのは、中心になっている概念は一種の認識論ではないか、ということです。         まず、現在の都市を、解決しなくてはならない問題を内包している存在としてとらえる部分、その対策としての穿孔という手段の事例を紹介しています。  ここまではいわばモノとしてかたちに現れていますよね。    ここから本間さんは穿孔という概念をつかって、ココロの問題、あるいは見え方の問題、さらにあるいは形而上の問題として考察を展開していってますよね。  ここがすばらしいです。
ちょっとえらそうになってしまいました。すみません。
現代の都市は膨大なコンクリートやアスファルトや鉄やなんやかんやで出来上がっていますが、それをつくり、支えているのは人間の意志です。
一見、確乎不動のものとして見えようとも、つねに生成消滅をくりかえす生き物のような存在で、そのエネルギーは人間のイメージの力でしょう。
一個の建物が生まれるのには、それに先立ってイメージが生まれ、共有されます。   その共有されるイメージに穿孔することができれば、現実の都市に穿孔するよりもはるかに大きな影響をおよぼすことができうるから、というのが理由です。
うーん なんかこじつけがましくなってきちゃったかなぁ・・。    たとえ確実に存在するものでも、現象でも、気づくことができなければ無いも同然で、
視野に入っていなかったものを意識させてもらったことの意味は大きいと思います。
で、蛇足ですが、現代の生活にはハレが失われつつある とある部分、むしろ私は現代の生活は総ハレ化している、と思っています。ハレとは日常生活との落差を指すと考えるならばそうでしょうが、ケを動物としての人間がもつべき、自然を基準とした毎日だと考えている私は、現代人の日常がお祭り騒ぎの延長 再延長にみえるのです。・・・やっぱり蛇足でした。では。
  1. 2007/05/03(木) 12:04:35 |
  2. URL |
  3. 研究生 田中 #-
  4. [ 編集]

田中様
>むしろ私は現代の生活は総ハレ化している……

なるほど、そういう見方もあるのですね。
現代は「消費社会になっている」がために、日常のあらゆる活動まで「商品として購入する必要がある」ということとも繋がるのかもしれません。
あれ、ズレてますか?
  1. 2007/05/06(日) 19:01:10 |
  2. URL |
  3. w_yoshi #SFo5/nok
  4. [ 編集]

田中様

的外れどころか、鋭い視点にココロ踊りました。
おっしゃるとおり、「認識論」でまだ「都市論」にはたどりつけ
ずじまいです・・・。

「総ハレ化」してしまったが故に、それがハレとしての意味を
失って、むしろ「ケ」と同義になってきてるんじゃないかしら?
というのが私の感じているところです。文章が稚拙で申し訳
ありません。たぶんここは言葉の表現の違いがあるだけで、
同じ方向を捉えているように思いました。

これからも是非いろいろお教え下さい。

  1. 2007/05/12(土) 09:41:18 |
  2. URL |
  3. ホンマ #-
  4. [ 編集]

w-yoshi 様      

本当にそう思います。    我々のまわりに蔓延し尽してしまって、あたかも空気のように意識することもなくなってしまっていますが、みんなが安手の拝金主義に冒されている・・と私はおもっています。
少なくとも日本が資本主義で国を運用するようになってから、とてもたくさんのものを失ったのでしょう。        それは古い建物を見ると、よくわかります。  当時の人々は今のわれわれとは全く違う価値観で建築と向き合っていた、と考えないと辻褄があわないような建物が、まだたくさん残っていますものね。
資本主義とはキリスト教のモラルと対にして運用しなくては、価値観の基準が 金 のみになってしまうという弊害があって、いまの日本の姿はまさにそれ・・というのが私の妄想です。
現状を否定的にとらえ過ぎているかもしれませんが。             ただ、建築現場で働いている私達を支配している神は(の、如きものといっておきましょうね) 予算、という名の金です。    もう一人の神、 工期 も姿を変えた金 と考えれば、実質唯一の神は金で、誰もそれを不純とも不合理とも思わないだけ我々の病の根は深く・・・・ってまた余計なことになってますけど、   
用 とか 美 とかかつての我々が大切にしていた基準は今の建築を支配していない、といえばわかりやすいでしょうか。     それどころか、かつて我々は建物を作りだす存在であったはずなのに、今、現場で行われているのは、建築、という名はついていても実質は建材の消費、にすぎないことでしかなくなってしまっています。  生産者のつもりでいたのにいつの間にか消費者・・・       消費したものの価値をうわまわるだけの価値をあらたに生み出していない建築など、むなしいものではないでしょうかね。  すみません、愚痴になってしまいました。      いまの我々の課題のひとつは、建築を考えるときの価値の基準を、金のみではなく、もっと別の説得力のあるあたらしいものとして再構築することではないでしょうか。
うーん これはずれまくりですね。
  1. 2007/05/25(金) 05:47:54 |
  2. URL |
  3. 研究生 田中 #-
  4. [ 編集]

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